館長室から

静岡大学附属図書館長 河合 真吾
河合 真吾
(巻頭言) AIと教育
「静岡県大学図書館協議会会報」No.25 (2024. 4)

 新型コロナウィルス感染症(COVID-19)が5類へ移行したことを受け、図書館の入館者数が、コロナ禍前の日常の数に徐々に回復している様子が、昨年8月にオンライン開催されました第27回静岡県大学図書館協議会のアンケートからも伺え、非常に喜ばしく感じております。引き続き感染リスクには注意しながら図書館の利用が増加することを願っています。
 さて、その際の事前アンケートに、「学生協働の活動」に関する項目があり、各大学のさまざまな取り組みを興味深く拝見しました。静岡大学附属図書館では、学生協働の一環で静岡・浜松各館に「学生モニター」を募り、図書館職員とともに活動していただいております。先日、静岡本館では、モニター会議が開かれ「モニター選書」や「オープンライブラリー」など様々な活動の報告に加え、学生モニターと職員による協働選書として「機械学習と人工知能」を扱った展示の紹介がありました。私が大学生の頃(40年以上も前です)とは隔世の感があります。
 私の専門は森林生物化学で、樹木成分や樹木の営みを有機化学や生化学の手法を駆使して解明する研究を行っております。大学院生の頃、英文(その当時は独文も読む必要がありました)で書かれた参考文献を読むことや、論文投稿のために英語で論文を書くのは大変苦手で、動詞の使い方も含めた専門用語の訳には苦労しました。「化学の論文を英語で書くための化学英語の活用辞典(化学同人)」を先輩から紹介されたときには、その辞書を宝物のように使ったことを思い出します。さらに論文執筆では、欧米人の執筆した関連論文中の良い文例や、「微生物・バイオ領域の英語表現文例集(講談社サイエンティフィック)」といった書物など(たまには図書館で大きな辞典を調べたりしましたが)を、かなり参考にして文章構成しておりましたので、昔の私の論文を今のようにiThenticateで判定すると、自己剽窃も含めどんなスコアになっていたのかヒヤヒヤします。
 大学院を修了する頃の1980年代後半には、コンピューターの普及に伴って、翻訳ソフトが開発されました。当初は「統計的な機械翻訳」で、特に専門用語の多い科学英語は全く使い物になりませんでした。教員になって、英語論文を翻訳ソフトで訳し、それをコピペ(この単語が市民権を獲得したのもこの頃ですね)して提出した学生のゼミ資料を見て、良くもこんな意味の通じない日本語訳で提出できるなぁと思ったものです。でも今はどうでしょう。ここ10年の翻訳ソフトの精度向上は目覚ましいものがあります。専門家ではないので詳細に解説することはできませんが、ニューラルネットワーク(神経網)とディープラーニング(深層学習)を利用した「ニューラル機械翻訳」によって、入力された文の文脈を理解し適切な出力をする能力を有しています。DeepLやGoogle翻訳がその代表的なものでしょう。これら翻訳ソフトのお陰なのか、学生のゼミ資料の英訳は画期的に向上し、比較的自然に翻訳された形で提出されてきます。ただし、残念ながらその訳文の内容理解には個人差があります。
 また、同様な自然言語処理能力を持ち対話を生成するタクスに特化したものがChatGPTやGeminiなどの文章生成AIでしょう。今年の芥川賞受賞者が「全体の5%ぐらいは文章生成AIを駆使して書いた」との発言もありましたが、現在の技術の発展を考えると、数年先にはより洗練された小説を生成することが可能になることは確実でしょう。そこまでいかないまでも、課題レポートの構成や、科学実験結果の解釈など、すぐに使えそうな項目があります。論理的思考や創造性を求めるレポートや卒業論文などが大学教育に必須であることを考えると、一刻も早くこれら生成系AIの「正しい使い方・付き合い方」を教育する必要があります。
 話を学生モニター会議に戻しましょう。その会議の中で、参加学生に翻訳ソフトや文章生成AIの利用についてインタビューをしました。図書について強い関心を持った学生達ですので、彼らの発言が大学生全てには当てはまらないかもしれませんが、機械翻訳にしても文章生成AIにしても、少し違和感・不自然さを感じるとともに、生成AIが「無難」な「広く浅い」回答をしていることを見抜いていて少し安心しました。ただ、AIが「被差別的」で「ポリコレ(ポリティカルコレクトネス/政治的妥当性)」を考慮した文章を生成できることから、自身の文章や発言の検閲など、コンプライアンスを考慮しなければならない現代においては、なくてはならないものになって来ているのではと考えています。
 と、ここまで書いたところで、動画作成AIであるSORAのニュース報道がありました。「夢か、うつつか、まぼろしか」などと、のんびり過ごしている時代ではなくなってきましたね。

〈巻頭言〉香りを嗜む
「図書館通信」No.176 (2024. 4)

 ほぼ4年間におよぶ「ウィズコロナ」を経て入学した新入生のみなさん、静岡大学へようこそ。世界情勢などまだ不安な部分も多いですが、勉学だけでなく課外活動も含めて大学生活を満喫してください。在学生の皆さんも同じです。本学附属図書館には、多くの蔵書や電子リソースがあります。大学生活を楽しむのはもちろんですが、多くの図書を嗜むことで、自ら問いをたてる能力を身につけてください。
 私の所属は農学部で、森林の生物の営みを有機化学や生化学の手法で研究していますので、芳香剤に「森の香り」と書かれていると、香りの成分は何?化学構造は?と考えます。本当の「森の香り・フィトンチット」は、ピネンなどのテルペンや芳香族系の低分子成分のまざった成分の香りなのです。「バラの香り」は数千種類の成分のまざった香りだと言われています。バラの品種によって成分やその配合が異なりますので、バラは花色だけでなく香りによっても分類されています。代表的な香りであるダマスク系以外にも、紅茶の香りに似たティー系や、香辛料のクローブ(丁字・チョウジ)のような香りのスパイシー系など、香りを指標として新しい品種が開発されています。一方で、まざった成分ではあるものの、その中の一つの成分だけでその植物や食物を連想できる香りもあります。ミントの香りはメントール、スペアミントはカルボン、バニラはバニリン、シナモン(肉桂・ニッキ)は桂皮アルデヒド、桜葉(桜餅)はクマリンといった具合です。先程のバラのクローブ香も、オイゲノールがその香りの主体です。香りの同義語に、日本語では、薫り・馨り・匂い・臭いなど、英語でも、fragrance・aroma・smell・scent・odorなど微妙にニュアンスの異なる単語があります。これにパフューム(perfume・香料)やフレーバー(flavor・風味)などが加わりますので、香りが人々にとっていかに大切であるか容易に想像できます。興味のある方は、図書館にもたくさんの香りに関する書籍があります。成分の構造が知りたい人は『香りの科学』(講談社)とか、『人の暮らしを変えた植物の化学戦略』(築地書館)などがお勧めです。(電子ブックもあります)
 さて話は変わりますが、私は左利きです。最近は左利きの人をよく見かけますが、我々世代は文字や箸だけは右手を使うよう矯正させられた人も多く、体育の時間にボールを左手で投げる人が増えて驚いたものです。左利きにとって、不便な道具の一つにハサミがあります。普通のハサミは刃の組み合わせが右利き用にできていて、上の刃が右回りに動くようにできています。左利きの人が、右利き用ハサミでキリトリ線に沿って切ることは苦労しますが、それは右手と左手の構造が違って動作が異なるためです。右手と左手で手のひらを合わせて拝んだり、繋いだりすることはできますが、握手はできません。右手を挙げて鏡を見ると、鏡の自分(鏡像)は左手を挙げています。有機物の中心原子である炭素原子は4つの原子が結合できますので、図のように4つの異なった原子や分子(色違いで示しています)が結合すると鏡像が発生します。この2つの成分は、右手と左手と同じで、異なった成分になります。たとえば、先程スペアミントの香りはカルボンと書きましたが、カルボンには鏡像が存在し、スペアミントの香りがするのは片方の成分だけで、鏡像成分はクッキーやパンに使われる香辛料のキャラウェイの香りがします。とても不思議だと思うかもしれませんが、匂いを感知するレセプターが異なり、違った香りとして認識されます。

 人にはフェロモンを感知する器官は退化したと言われていますが、匂い(体臭だけではないと私は信じています)と相性が関係しているという研究もあります。このように、我々人間は嗅覚だけではなく、さまざまな感度の高い感覚を有しています。この優れた感覚を磨いて、自分と相性の良い学問や人間を嗅ぎ分けることも、みなさんが大学生活を楽しむ秘訣かもしれません。図書館はその感覚磨きの助けになりたいと考えています。

〈巻頭言〉知識を吸って大きく育て
「図書館通信」No.175 (2023. 4)

 新入生の皆さん、ようこそ静岡大学へ。
 ほぼ3年間におよぶ「ウィズコロナ」が終焉しつつあり、時代は「ポストコロナ」に移行してきました。不安定な世界情勢など心配な部分も多いですが、新しい日常を満喫してください。在学生の皆さんも同じです。本学図書館には、多くの蔵書や電子リソースがあります。多くの新しい知識を吸収することで、自ら問いをたてる能力を身につけ、ぜひ大学を楽しんでください。
 私は森林の生物や化学について日々学んでおりますが、私の研究と図書館との関連するキーワードの一つに紙があります。紙は、森林から得られる木材-現在では木質バイオマスの方がポピュラーですかね-が原料です。木材に水をかけながら物理的にすりおろして作ったパルプや、チップ状にした木材を圧力釜の中でアルカリ試薬と反応させ、紙の成分であるセルロースを化学的に取り出したパルプを、シート状に成形したものが紙です。前者は新聞紙、後者は本やコピー用紙になります。ただ今では、脱炭素社会をめざした古紙の回収・利用が必須で、古紙を混ぜて紙にすることがほとんどです。木質バイオマスである紙を使った本を、大量に長期間にわたって保存している図書館は、二酸化炭素の貯留にかなり貢献していることになります。
 脱炭素社会といえば、紙の再生利用以上に、木造建築や高層木造ビルが現在注目されています。戦後大規模に植林された人工林の多くが樹齢50年を超えています。大きくなった木はあまり成長せず、光合成による二酸化炭素の吸収が減少し、呼吸による二酸化炭素の放出との差が無くなってきます。したがって、大きくなった老木を伐採し、そこに成長力の旺盛な若い木を植えて森林の二酸化炭素吸収量を増やすとともに、炭素をたっぷり固定した老木を長期貯留が可能な木造建築などに利用することで、地球上の二酸化炭素の総量をマイナスにするネガティブエミッションを目指しているのです。ただ、成長の早い外来種の導入には、生態系を破壊しないような工夫が必要でしょう。
 さて話は変わりますが、私のある研究のきっかけとなった本を紹介しましょう。「身近な生物間の化学的交渉-化学生態学入門-(古前恒・林七雄 著)」という古い本 (1985発刊)ですが、カイコの性フェロモン化合物や、帰化植物セイタカアワダチソウの凄まじい繁殖力をサポートするポリアセチレン化合物など、生物そのものが生物間の生存戦略を生き抜くためにつくった化学物質に関する先駆的な研究が紹介されており、心躍りながら読んだことを覚えています。今では、生物が化学物質を使って他の生物と会話しているように見えることから、ケミカルコミュニケーションともいわれています。マメ科植物がフラボノイド系の化合物を分泌することで根粒菌と共生する例や、草食系のハダニに食害を受けた植物がテルペン系のSOS化合物を放出し、その匂いを感知した肉食系のカブリダニが、あたかもボディーガードのように集まってハダニを退治する例もこれにあたります。後者の肉食系ダニは天敵農薬として農業にも用いられています。私は、ハンノキやヤマモモなど一部の樹木が、放線菌フランキアと根粒共生するために放出するコミュニケーション物質の特定とその共生機構を探っています。フランキアから窒素源の供給を受けるこれら樹木の成長は比較的早く、二酸化炭素の固定にも貢献できると期待しています。
 さて、新学期からは図書館の利用制限も徐々に解除しています。会話が可能なエリア(静岡キャンパス:ハーベストルーム、浜松キャンパス:グループワークエリア等)の利用も可能になっています。ぜひ積極的に利用していただき、皆さんとともに新しい図書館を作り上げていただきたいと考えております。老木(ばかりではないですが・・)の我々教員や、知識の蓄積である図書館を上手に使うことで、知識吸収容量の大きな若木であるあなた方が伸々と成長することを期待しています。
(『身近な生物間の化学的交渉-化学生態学入門-(古前恒・林七雄 著)』は静岡本館書庫に所蔵)

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